【78日目】東か西か関ケ原巡り最後はどん兵衛食べ比べ




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あーもうお腹いっぱい。

どうもさせ(@hitori_Traveler)です。

78日目は岐阜の県境まで歩みを進め、関ケ原を観光しました。

それではどうぞ。

 

天下分け目の…

 

「おはようございます。なんだか早く起きてしまったな…」

寝むれなかったわけでなく、なぜだか今日に限ってスッと目が覚めました。

せっかく早く起きれたことだし、早めに行動してみようと思います。

まずは、毎朝恒例のお天気チェックから…

「今日も良い天気になりそうだ」

早起きできたおかげか、綺麗な朝焼けを見ることが出来ました。なんだかいい一日になりそうです。

本日は、当初の予定通りに関ケ原を巡ろうと思います。

「それではいってきます!」

 

関ケ原巡り

 

これから巡る関ケ原町と言えば、天下分け目の戦いとして有名な関ケ原の戦いが起こった地です。

それ以前にも壬申の乱の舞台となり、何かと歴史を決定づける出来事が起こっている場所でもあります。

また、東西の文化の分け目とされることが多く、関ケ原の東と西で味や風土が変わるとも言われているおもしろい場所でもあります。

様々な魅力がある場所で、いろんな選択肢がありますが、ここはシンプルに関ケ原の戦いの舞台になった場所を巡りたいと思います。

今回は、車と歩きをうまく交えながらゆかりの地を巡っていきたいと思います。

西軍陣所・墓地巡り

関ケ原の戦いの内容を知らないドイツの軍人メッケルに関ケ原の布陣を見せたら、「こんなもん100%西軍の勝ちだろ。ボーイ」(ボーイと言ったかは知らない)と言われながらも負けてしまった西軍。※諸説あり

悲しくも結束力がなく裏切りの憂き目にあって負けてしまった西軍。

勝者と敗者がいるのは歴史の定めですが、なんだか報われないイメージがある西軍。

「そんな西軍、僕は好きです!でも東軍の方が好き…」

まずは、惜しくも敗者となってしまった石田三成を筆頭とした西軍ゆかりの地から巡ります。

まずやってきたのは、笹尾山。

石田三成が陣を敷いたところで、山頂からは戦場を一望することが出来ます。

景色はこんな感じ

高所の地の利に加え、戦場を一望でき戦況を判断しやすい場所に陣を構えたのは実に理にかなっていると思います。

「石田三成、戦上手説あるな」

麓には石田三成には過ぎたるものと言われた島左近の陣跡があります。

石田勢はこの笹尾山の陣をうまく使って、一時は東軍と互角以上に戦ったそうです。

こんな調子でどんどん見ていきたいと思います。

島津義弘陣跡。やむを得ず西軍に着いたとされる島津義弘。開戦後も石田三成から再三の出陣要請があるも、すべて断ったとか…

真意は歴史の闇の中ですが、どうして動かなかったのか想像するのもまた一興ですね。

鳥頭坂(上)と島津豊久碑(下)。

関ケ原の島津を語る上で忘れていけないのが、島津豊久と鳥頭坂です。

戦の勝敗が決したころに、家康本陣の前を通り薩摩への退却を始めた島津軍。

そう簡単に徳川勢が逃がしてくれるはずもなく、逃げる島津軍を執拗に徳川勢は追い続け、島津軍はどんどん数を減らしていきます。

もはや全滅かと言うところまで追い込まれたときに、ここ鳥頭坂甥の島津豊久が立ちふさがり、井伊直政と松平忠吉を負傷・撤退させるほどの大暴れを見せた後に力尽きます。

島津義弘を無事に逃がすためだけに自身の命を引き換えにしたと言われています。

「いやもうね、かっこよすぎかよ」

歴史にたらればはありませんが、もし島津義弘が討たれていたら歴史は大きく変わっていたかもしれません。

そう考えると島津豊久の功績はとてつもなく大きいと思います。

島津豊久は、ドリフターズと言う漫画の主人公にもなりましたので、最近再評価されてる気がします。

こちらは、小西行長の陣跡。

キリシタン大名としても有名で西軍で戦っていた数少ない大名の一人です。

宇喜多秀家陣跡。南天満山の麓の天満神社の境内にある陣跡です。

豊臣政権下五大老の一人で、西軍で最大の兵力を率いて戦った大名です。

開戦当初から東軍の標的になり、一番の激戦が行われたと考えられています。

平塚為広碑。

いち早く西軍に着くことを決めた小大名で、病身の大谷吉継に代わって軍の指揮を執り奮戦したそうです。

大谷吉継の墓

大谷吉継は、三成との友情をとり西軍側についた武将です。

関ケ原の戦いでは、歩行困難なほどの病身でありながら本戦に参加し、裏切った小早川勢1万以上に対したった600の軍勢で三度も押し返すという奮戦を見せた後、「小早川秀秋を3年以内に呪い殺す」と言って自刃したという壮絶な伝承を残しています。

実際、小早川秀秋は関ケ原の戦いの2年後に死亡しているのがまた何とも…

お墓には、お供え物もたくさんあり、今もなお大谷吉継が慕われていることが分かりました。

理より友情をとった大谷吉継の生き様が今なお多くの共感を得ているようです。

「自分も大好きな武将の一人だなぁ」

こちらは、大谷吉継墓から近い大谷吉継陣跡。

小早川秀秋の裏切りを警戒して、松尾山を監視しやすいこの場所に陣を構えたとも言われています。


以上で、西軍巡りは終わりですが、心打たれるエピソードが多いのは西軍だと思います。

個人的には東軍派ですが、なんとなく西軍に勝ってほしかった気もしなくもないですね。←どっちだよ

こうして、陣所を巡っていると、弱小チームが、9回2アウトから逆転満塁ホームランを打つ的な…ミラクルな歴史もまたみてみたいと思っちゃいますね。

裏切り者たちの陣所・墓地巡り

西軍ゆかりの地はひとしきり巡り終えたので、お次はみんな大好き裏切り者の地を巡ろうと思います。

関ケ原の戦いのキーマンたちはどんな場所に陣を構えたのでしょうか。

それでは、行ってみます。

小早川秀秋陣跡。

松尾山に陣をとり、両軍の様子を高みの見物しながらも最終的には家康に鉄砲を打ち込まれて、急いで東軍に寝返ったと言われています。

まあ、戦国一の裏切り者と言えばこの人をおいてほかないでしょう。

ミスター裏切り・悪魔・こいつのせいで(そういわれてるかは知らない)…etc などなど恨まれることは数知れずだと思います。

裏切る前までは西軍が押していたらしいのに、この人の裏切りで勝負が決まっちゃったからなおさら悪く言われるのかも…

でも、僕は思うのです。

当時の日本で最高権力者と言われてるやつから「こっちにつけよ」と言われていたら、そんなものは誰でも迷うでしょう。

ましてや20歳そこそこの若者が迷わないわけがありません。

今でいうと「一国のトップにお願いされて断れるか」ってことくらい難しい選択だったような気がするのです。

悪くないとは言いませんが、少しかわいそうな気もするので再評価してほしい気もするし別にしなくていい気もします。←どっちだよ

脇坂安治陣跡。小早川の裏切りに呼応して裏切った四部隊のうちの一つ。

他の三部隊と違ってもともと東軍に寝返る約束をしていたため、戦後領地は安堵されたそうです。

「彼のピークは、賤ヶ岳の七本槍(創作かも)と言われてる頃だったろうな…」


以上で裏切り者編は終わりですが、これらのエピソードには人間の心理が詰まっている気がするので、なんだか一番他人事じゃない気もします。

なんとも考えさせられるというかやるせない気持ちになりますね…

東軍陣所・墓地巡り

勝てば官軍。勝者こそが正義。歴史の勝者として名を刻んだ東軍。

東軍についた人たちも、訳アリ物件が多くエピソードには事欠きません。

それでは、東軍の地を巡りましょう。

福島正則陣跡。東軍の先鋒として関ケ原の前哨戦から戦いに参加して功を挙げました。

石田三成とは仲が悪く対立関係にあったと言われています。

「石田憎いマン1号」

細川忠興陣跡。なぜだかこの人だけモニュメントが凝っている…

細川忠興は文化にも明るく、武勇もあった名将(性格はうーん)で東軍につきましたが、父のこもる城を西軍に包囲され、妻は西軍の人質工作に抵抗して死亡…

あまりの石田憎さから関ケ原の戦いで石田方の首級130もあげたという石田憎しの塊

「石田憎しマン2号」

岡山烽火場にある竹中重門と黒田長政の陣跡

こちらも戦場が一望できる好立地で、選挙を見渡して烽火をあげるには絶好の場所だったようです。

黒田長政は如水官兵衛の息子で、小早川秀秋をはじめとする数々の大名を裏切らせることに成功した、関ケ原の戦いの陰の功労者です。

竹中重門は当初西軍についていましたが、井伊直政の仲介により関ケ原の戦い前に東軍に寝がえります。この付近の領主だったので地理に明るかったと考えられています。

黒田長政も、九州征伐の武功が評価されなかったことで石田三成と対立。関ケ原の戦いでは、鉄砲隊を組織し石田陣へめがけて釣瓶打ちを行い島左近を負傷させたと言われています。

「石田憎しマン3号」

藤堂高虎・京極高知陣跡

主君を七回も変えた戦国きっての引っ越し屋さん藤堂高虎とキリシタン大名京極高知のコンビ。

藤堂高虎も石田襲撃事件に参加した石田憎しの武将ですが、それ以前に家康のことが大好きの方が強いかも知れませんが…

「石田憎しマン4号並びに家康大好きマン」

池田輝政陣跡

南宮山に陣取った毛利勢に備えた池田輝政の陣跡です。過去に父と兄が徳川軍に討ち取られているにもかかわらず徳川家康と縁戚関係になり東軍に参加。

この人ももちろん石田嫌いなのである。

「石田憎しマン5号」

山内一豊陣跡。

こちらも毛利勢の陣取る南宮山の抑えとして、着陣。

関ケ原では大した武功も挙げられませんでしたが、掛川城を家康に献上した功績などにより戦後加増。

大河ドラマ功名が辻でも描かれた大名です。ただ、妻・千代の方が素晴らしすぎて霞んでしまいますが…

田中吉政陣跡

関ケ原の戦いの後に逃亡した石田三成を捕らえ抜群の戦功をあげた武将。同じ近江出身だった三成とは旧知の仲だったようです。

奥平貞治の墓

小早川秀秋の見張り役として、松尾山に赴いていた奥平貞治。

小早川勢の裏切りを確認した後、大谷勢と交戦し命を落としてしまいます。

生き残っていれば加増確実だったと思わせる武将です。

井伊直政と松平忠吉陣跡。

言わずと知れた徳川四天王の一人井伊直政と松平忠吉のコンビ

軍監の一人として参陣した井伊直政は松平忠吉の舅にあたり、関ケ原の戦いが初陣だった忠吉の補佐的な意味もあったようです。

関ケ原の戦いでは、先鋒と決まっていた福島勢をうまく言いくるめ、抜け駆けにより宇喜多隊へ発砲しちゃっかり先陣の名誉を得ました。

これにより関ケ原の戦いが始まったと言われています。

井伊直政はこの大戦の先陣は徳川がふさわしいと考えていたのかもしれませんね。

本多忠勝陣跡

家康に過ぎたるものと言われ、生涯57度の合戦に臨んだもののかすり傷一つ負わなかった徳川四天王の一人。

関ケ原の戦いでは、軍監として東軍諸将の統制にあたり見事に勝利を手繰り寄せました。

桃配山・徳川家康最初陣地跡

開戦当初に徳川家康が陣を置いた場所で、関ケ原後方から指揮を執っていました。

徳川家康最後陣地跡

思うような戦果があがらないことにしびれを切らしたのか、西軍本陣からわずか数百メートルの場所まで陣地を進めた跡地です

これだけ見ると、相当に焦っていたんでしょうか。それとも情けない味方を鼓舞する目的で前進したのでしょうか。はたまた両方の目的があったのかそれ以外なのか…

真相は闇の中なところがまた面白さかもしれません。


以上で東軍巡りはおしまいです。

東軍を見ると、西軍と違って家康を中心に一枚岩になっていたように感じます。

そう考えると、東軍が勝つのは必然だったのかも知れませんね。

歴史考察は、諸説あってどれが正解か分かりません。

だからこそこれだけ色んな人間ドラマがある関ヶ原の戦いに惹かれてしまうんだと思います。

ゆかりの地巡り

開戦地。

この場所で関ケ原の戦いが始まったとされる場所です。

不破関跡。このあたりで藤堂・京極隊と平塚為広隊が激突したようです。

最大の戦いがあったとされる決戦地。

旗が立っているだけの場所ですが、激しい戦いがあったことを想像させる不思議な場所です。

西首塚と東首塚。

合戦で命を落とした武将たちをこの場所に葬ったそうです。


これにて関ケ原ゆかりの地巡りは全て終了です。

おおよそ4時間で周り終えましたが、あっという間に過ぎていました…

結構早足で周ってこの時間だったので、すべて巡るには5~6時間を見ておくと良いと思います。

「いやぁ、まんぞくまんぞく」

※本日訪れた場所を地図に乗せていると途方もないので、こちらからマップをご覧ください

 

関ケ原駅前観光交流館 いざ!関ケ原

 

関ケ原の舞台巡りが終了したので、休憩がてら関ケ原駅前にある『関ケ原駅前観光交流館 いざ!関ケ原』へやってきました。

駅前は、自販機やら至る所に関ケ原を連想させるものがありマニアにはたまらない仕様です。

今回のお目当てのものは観光館内部にあるので、そちらへ向かいます。

こちらがお目当ての家紋ロッカー。ネットで話題になっていたので一度見てみたかったところです。

「うー!見てるだけでテンション上がる⤴」

関ケ原の戦いに臨んだ兵力=ロッカーの大きさになっているという芸の細かさまで…

あいにく荷物を預けるものがないので、使用しませんでしたが良い目の保養になりました。

内部は観光案内と関ケ原グッズが売っているので、関ヶ原に訪れた際は一見の価値ありです。

【関ケ原駅前観光交流館 いざ!関ケ原】

  • 所要時間:20分
  • 料金:無料
  • 駐車場:無料駐車場有

大垣城はなんと今だけ無料

 

今日の最後にやってきたのは、大垣城。

関ヶ原の戦いとも関係のある城で、西軍はもともとこの城で東軍を迎え討とうとしていたのですが、東軍が大垣城を避けたため関ケ原の戦いになったとされてます。

あるいは、家康が情報をわざと流して西軍を誘い出し得意の夜戦に持ち込みたかったとも言われています。

この辺も諸説あるようですのではっきりとは分かりませんが…

そしてこの日は、天守に無料で入ることが出来ました!文化の日ばんざーい。

「これも朝早く起きたからこそだね」←絶対に違う

戦争の空襲で焼ける前までは、天守も残っていたそうです。

内部は、関ヶ原の戦いについての展示が多くあるので一見の価値はあるかなと思います。

特に杭瀬川の戦いに関する展示は見ごたえがありました。

みなさんも、残り2日の休みで無料開放中の大垣城へに行ってみてくださいね。

「お知らせがタイムリーすぎて無理だろ…」

【大垣城】

  • 所要時間:30分
  • 料金:無料※通常100円
  • 駐車場:有料駐車場が付近にあり、無料は奥の細道結びの地記念館

 

東と西 白黒つけようじゃないか

 

観光はここまでにして、今日の最後はこいつで締めようと思います。

どん・どん!

どん兵衛食べ比べ対決!

関ヶ原を境に味が変わると言われるどん兵衛。先程訪れた『関ケ原駅前観光交流館 いざ!関ケ原』で売っていたのでこっそり購入していました。

見たところパッケージのフォルムは一緒のようですね。

上が東、下が西です。カロリーは西の方が少ないです。

なんと4㎉も…ダイエットしている女の子には朗報ですね。

ここは西に軍配か?

御開帳。左が東・右が西です。

東はよく見るのでしっくりきますが、青のかやく入れは見たことなかったのでちょっと衝撃でした。

お揚げがちょっと違うような気もしましたが…見た目の変化はよくわからなかったのでとりあえずお湯を入れて5分待ちます…

完成!左が東・右が西です。

こう見るとはっきり違いが分かります。色の濃い方は見慣れているので何とも思いませんが、西はこれまた衝撃的。

まずは、東から一口。

お味の方は、「ああ、良く知っている味だ」

甘めのお出汁と甘い揚げで口に残るお味です…一言でいうと味が濃いような気がする食べ慣れたお味です。

続いて西

お味の方は「おお、すごくあっさり」

お出汁も甘さ控えめ、揚げも甘さ控えめで、すっきりした味わいです。

スープを見るとより違いが分かります。

スープまでしっかり飲み干して、完食!

「うう…もうお腹いっぱいだ…」

結論

感想としては、東は濃い口しょうゆベースで口に残る、西は出汁ベースであっさりとしていて食べやすい。

同じような食材なはずなのに、こんなにはっきり味が違うのは面白かったです。

個人的には

「どっちも美味しいけど西が好きかな」

『東の生まれの癖に、裏切り者』と言う声が聞こえるのは気のせいじゃないはず…

結局は好みによるところが大きいので、皆さんも実際に食べて味比べしてみてくださいね!

 

本日のお風呂とお宿

 

今日の風呂はパスします。歩き疲れたからすぐ寝よう…そうしよう。

ちょっとはしゃぎすぎたな…

本日のお宿

道の駅柳津です。

岐阜市に近く、観光の拠点としての立地が良いと思います。ただし、幹線道路から近いので静かな道の駅ではないと思います。

「それでは、おやすみなさい」

【道の駅柳津】

おわりに

 

今日は、関ケ原巡りで一日終わってしまいましたが、個人的にはかなり満足いく一日でした。

ちょっとはしゃぎすぎて疲れましたが…また、3連休の初日といこともあってかなりの混雑でした。

明日も混雑が予想されるので、休息日にしようか迷っていますが、旅をするにしてもゆっくりにしようと思います。

今日の収支

  • 食費:500円
  • 合計:500円

移動距離

37キロ

達成項目

なし

 







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